sox diary

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働く。

働きました。


仕事終わりにユージ君と飯を食べる感じだったけどフラグが立ちませんでした。
理由はユージ君の仕事先の何かアレで。
まぁまたそのうち。


全く流れは無視して思ったこと。


企業とかメディアとか、とにかくモノヅクリの現場が大衆性を念頭に活動した結果、サービスの質の低下を招いてしまうことがある。
雑誌業界や音楽業界なんかまさにそう。
食品なんかもそうかな。
じゃあ「大衆性の獲得」ならば「質の低下」なのか。
考えてみる。


あるサービスAが生み出されたとして、それが万人ウケが良い場合は、大きな利益を生み出し、あっという間に普及する。
また違うサービスBが生み出されたとして、それが玄人ウケする場合、大きな利益を生み出すことができず、市場が広がらない。
ここで一単位のサービスを生産するのにかかるコストは両サービスで変わらないとする。


万人ウケするサービスAはあっという間に普及した後は、サービスの向上を目指さずに放って置いても消費され続け、利益を生む。
サービスAの供給側はさらに利益を生み出そうと、サービス生産のコストダウンをはかる。
またサービスAを享受する不特定多数の嗜好性を把握することができないために、質の向上のベクトルを定めることができず、リスクを見積もって足踏みをしてしまう。
よって質の低下が起こる。


玄人ウケするサービスは普及せずに、特定集団のみに消費され続けるので、あまり大きな利益は生むことができない。
サービスBの供給側は特定集団を逃さぬようにと、質の向上を図る。
またサービスBを享受する特定集団は規模も小さく嗜好性を把握できるので、質の向上のベクトルを定め、リスクを見積もって質の向上に踏み切る。
よって質の向上が起こる。


資本主義において供給側は「より安いモノを作って沢山消費してもらおう」という考えと「より質の良いモノを作って沢山消費してもらおう」という考え、その2つのどちらかを重視するかが大事なんではないかな。


で細かいこと無視して考えてみると、「安さの極限」=0であるし、「質の良さの極限」=∞である。
これを具象的に言葉にしてみる。


サービスA式のコストダウンを繰り返して価格を下げ続ければ、価格は限りなく0に近い値になる。
この状態飽きられたら、方向転換して質の向上を図ろうにも資本がないと思う。


サービスB式の質の向上を繰り返して質の良さを上げ続けることになるが、「質」というものは抽象的で限界がない。
なぜならヒトの欲求自体限界がないから。


だから皆さん、多くに安売りするのはやめましょう。


ここで反論。
何をもってして「質の向上」とするのか。
抽象的過ぎて主観的にも客観的にも非常に捉えがたい命題である。