sox diary

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電車。

 電車を待つ。
 電車を待つ間、周りを観察してしまう。
 はしゃぎあってる若い男の子の集まり。
 疲れた顔のサラリーマン。
 携帯を操る女子高生。
 夜の間だけ利用可能な喫煙所に群がる、黒い人たち。
 駅のホームには本当いろんなヒトが溢れている。
 見たことあるヒトもいれば、初めて見るヒトもいる。
 もちろん、毎日同じ時間の電車に乗るわけじゃないから、見たことないヒトがいて当然なんだけど。
 決して目を楽しませはしない風景だけど、あまりに退屈すぎるこの時間をやり過ごす唯一の方法として、周りを観察してしまう。


 電車が来る。
 遠くで小さい光の粒が見えたかと思うと、それがだんだん大きくなり、電車が線路の上を走る轟音が聞こえてくる。
 小さかったと思った光の粒は気付かない間に認識を通り越して、光の列となって押し寄せる。
 電車が来るダイナミズムとは対照的な車掌さんの無機質な顔に続いて、時の止まったかのような車内の風景がボクの目の前でゆっくりと速度を緩め、心地良いとは言い辛い風が止むのに遅れて電車が止まる。
 ボクはそっと電車の扉のすぐ右に立ち止まる。
 ドアが開いて、我先にとヒトビトが出て行く。
 車内からの湿った空気と少し酸味のある臭いを感じて、ボクはいつも「あぁこれから長い時間をこの中で過ごすのか」と嫌な気分になる。
 しかしこれからの長い距離を、最も短い時間で最も安く移動する術は、他にない。
 そうして車内に入り込む。


 ボクが乗る快速電車はすでに沢山の通勤・通学客を乗せているために、椅子はもちろん空いていない。
 ドアの脇の隅っこも既にサラリーマンや学生なんかに占領されているので、つり革にぶら下がる。
 電車に乗り込むといつもそうなのだが、座れない客はあまり奥まで詰めようとしない。
 分かり易く言うと、すいている車内でも、車内の座席のない広い空間にいようとするし、座席の上のつり革につかまるとしてもなるべくドア付近のつり革につかまろうとする。
 心理的に考えて恐らく、「自分の駅に着いたらすぐ出れる」ようにしているのだと思う。
 おかげで電車が込んでくると後から入るヒトが前から入っていたヒトにガツガツ衝突することになる。
 利己主義教育が戦後大いになされた日本ではしょうがないことなのかな、と冗談交じりに考えてしまう。
 利己主義といえば、こないだ話した女の子が、「日本に来た外国人が日本まで来て外国語で喋るのはおかしい。礼儀としてその国の言葉を喋るべきだ」というようなことを話した。
 「来訪先の国の言葉を喋るのは礼儀正しい」という意見には同意するけど、もうちょっと考慮すべきじゃないかなと思った。
 その外国人さんがナイジェリア人でイボ語しか喋れないような方ならともかく、どう考えたって世界で最も多用されている言語は英語。
 ボクラだって、外国にしてもオーストラリアとか南米みたいなまるっきり欧米でなくても、歴史的に白人文化の影響を多少なりとも受けてる外国だったら、英語でコミュニケーションをとることができるだろうと思うだろう。
 ましてや先進国の日本だったら英語で何とかなると思っているヒトは多いと思う。
 そして、日本語はかなり特殊な言語であることを知っているはずだと思う。
 英語はアルファベット26文字であるのに対し、日本語は平仮名は71文字くらい?小さい文字も入れたらもっとか。
 カタカナも同じ数あるし、漢字なんか何文字あるのか考えたくもない。
 そして話されている地域もとても狭い。
 なんせ島国で使われている言語な上に、鎖国していた歴史もあれば、大陸国とも親交が浅く、もともと識字率も低い。
 そして世代で話が通じないくらい各々でカスタマイズされてしまう。
 こんな言葉を「大人になってから覚えてみせろ」なんて鬼のような話だ。


 なんてどうでもいいこと考えていると、ふとつり革につかまった正面の座席に、見覚えのある女性が座って寝ていることに気付く。
 「見覚えがある」といっても、昔喋ったことがあるのか、友人の友人とかどういう関係なのかすらなかなか思い出されない。
 毎日電車に乗る上で、駅のホームでやったような人間観察は車内でもよくするし、ボクが今まで生きてきた上で見たヒトの数なんてそれこそ日本語の文字の数以上に多いはずだ。
 でも、すぐに答えは分かった。
 何てことない答えに間が抜けてしまうほどだった。
 そうだ、このヒトは昨日こうしてつり革につかまったときに同じように正面に座って寝てたヒトだ。
 しかし昨日はどうやってこのヒトと別れたのだろう?
 いや違う。
 知り合いじゃないんだから別れなんてあるはずがない。
 正しく表現するとすれば、「何があってこの状況が変わったのだろう?」という感じか。
 目を瞑って思いっきり回想するのだけど、何が状況を変えた引き金になったかまるで思い出せない。
 とういうか、さっき乗り込んできた、飲みの帰りかなんだか分からない妙に賑わった連中に思考が遮られ、集中ができない。
 そういえばパブリックスペースでプライベートを露呈することについて、坂本龍一氏と糸井重里氏が対談したそうな。
 「パブリックスペースでプライベートを露呈する」ってのは言わば「電車の中で携帯で話す」とか「道端で座り込む」とか「本屋で立ち読みする」とか?
 アルコールが入ってるいないに関わらず、電車内で賑わっているのはアンマリよろしくないと思うのだ。
 なんせお疲れの皆様が沢山いらっしゃる。
 元気がとりえの子供でさえ、車内では大人しくさせられる。
 ましてや大人がそうであっては、見本にならなくて困る。


 そう思っている間に、後方の席が空いた。
 ボクがいつも乗る電車は上りを過ぎて下りに転じる。
 適当に考えている間に電車は街の中心を通り過ぎたみたいだ。
 車内では立っているヒトも大分減り、その空いた座席をボクと争うような方はいないようだ。
 迷わずボクは座る。
 これから先はまだ長い。
 座って向かいを見ると、まだ見覚えのある女性が座って寝ている。
 こないだ夕飯を一緒にした男性が、「可愛い女の子って見ているだけで気分が良くなるよね〜」と軽薄とも取れるような、それであって真理でもあるようなことを言ってのけていた。
 それを今身をもって確信した。
 もちろんボクは彼女を知らない。
 今ボクの網膜から視神経を通って視覚野に投影されている像は彼女の寝顔であって、目を開けた瞬間印象が180°変わってしまうかもしれない。
 それこそ服装はリクルートのような平凡なスカートスーツだけど、私服のセンスの相性はまるで悪いかもしれない。
 指にはリングの1つも見受けられないが、恋人がいるからってリングをしないヒトなのかもしれない。
 というか、起きた顔も私服も恋人もどんなだろうが関係ない。
 今見える彼女がボクの心を潤している。
 これからワケアリになろうと声をかけるつもりもないし、今後の関係がなんかしら生じるわけでもないだろう。
 でも。
 何かを感じた。
 そうしてボクは軽い眠気を感じ、目を瞑った。


 気が付くと、降りる駅が大分近くなっていた。
 といってもまだ数駅あるのでまだ寝ていて大丈夫だろう。
 違う線の電車と乗り合わせる駅を過ぎたからか、下りに転じたからか、車内は少し込んでいた。
 正面や周りにはつり革にぶら下がるヒトがいて車内全体を見渡すことができない。
 近くの中吊り広告は週刊誌の宣伝で、芸能人の身の上話や下世話な処世術、袋とじのAV女優の見納めヌードなどの文字が躍っている。
 正面の青年は年齢不詳(明らかに年上だけど)で、スーツではなく黒いブルゾンにチェックシャツ、ツータックのスラックスという良く見るが職業を判断しかねる服装だった。
 目を瞑っていると何かカサカサ音がするので、眠気眼を見開いて正面の青年に目をやると、しきりに上着のブルゾンをはたいていた。
 黒い上着だから何か付いていると目立つのだろう。
 とはいえ、埃にしてもフケにしても、なんであろうとこちらに何か振りかけてくるのはちっとも嬉しくない。
 そんなことに冷静さを失っていたが、ふとさっきの女性のことを思い出す。
 しかしながら微妙に込んでいる車内の中で向かいの座席を確認することはできない。
 だからといってこの座席を立って向かいの座席を確認するのもはばかれるため、なす術もなく目を瞑る。


 そして降りる駅に着く。
 たった数駅で車内のヒトはかなり少なくなっていた。
 あの女性はもういなかった。
 あの女性がどこで降りたのかも分からなかった。
 もちろんどこで降りたのか分かったからといってどうって事もないのだけど。
 寝顔以外何も知らない女性に対して、特別な感情を抱くまでには至らないのは当たり前。
 ましてやこんな遅い時間に、他の駅で降りるなんて気にはとてもなりようがない。
 なのにこの喪失感はなんだろう。
 レジで買い物をした後に忘れ物をしたような、そんな気分。
 ボクは明日同じ電車に乗るだろうか?
 ボクは明日あの女性に会えるだろうか?
 そもそもあの女性は明日の同じ時間に電車に乗るだろうか?
 希望と絶望がサイケデリックに混ざり合った複雑な気分で、ボクは自転車の鍵を開ける。