sox diary

sox diary

オサマ・ビンラディン氏の誕生日。


 別に意図は無いですが、soxです。
 右足ふくらはぎらへんに吹き出物が出来たりしてますが、潰すのみです。


 グロいですね、話を変えましょう。
 昨日の日記で腕時計の話をしましたが、買ったのはこれです。
 2800円でこんなヘンテコな腕時計を買えて楽しかったです。
 でもボクは時間に縛られるのはかなり嫌いです。
 時間を重要視して生活することで、常にプレッシャーにつきまとわれる感じというか、時間に追われている感覚に苛まれているのですボクラは。
 「時間を守れないとは社会人失格だ」なんて言われた気がしますが、海外でもそういうことは言えるのかしら。
 西欧の電車なんかは時間通りに来ないことが良く知られていると思いますが、その状況下で経済活動がどのように営まれているからは知りません。
 でも職場で携帯を見て時間確認するのが個人的によろしくないと思われたので、腕時計することにしたのです。
 live出演とかでも時間は大事な要素だったりするので尚の事。


 職場の女の子が退勤の挨拶をしてくれたのに反応できなかったのが悔やまれるなぁ。


 さて、ライブハウスとかで、「soxはどこを目指しているの?」と尋ねられたので考えてみました。
 まぁはっきりと「こうしたい」というのは無いかも。
 尋ねられたときの返事には「ぼんやり見ている」とか「自分自身楽しむ」とか「とにかくnoticeableな曲を作ってリアクションを覗きたい」という答えを返したと思う。
 そもそもメジャーデビューとか有名になりたいとかそういう気持ちはなくて、そう意味ではかなり恣意的でない。
 生活の一部で、「飯喰う」とか「息する」とか「女の子を大事にする」とかそんな行為と並列でliveします。
 で、「生活する」ってのは無意識状態での「自己表現」だと思っております。
 「生活する」手段であり、「自己表現する」手段として音楽を楽しんでいるのだと、ボクはボク自身を分析しています。
 自己表現は様々な形で自己を投影するのです。
 あるヒトは絵を描いて、あるヒトは早食いで、あるヒトはスポーツで、あるヒトは犯罪で自分を具象化したりします。
 自分の中に湧き上がった抽象的なイメージを行為なりなんなりでプレゼンテーションするわけです。
 ボクにとって音楽が最も率先して楽しんでいる自己表現ですが、この日記だって、たまに貼る分けのわからん写真や絵、このサイトの色使いも自己表現の一部に違いないのです。
 まとめると、"sox"は「生活」なので、目指しているところは死です。
 だから、"sox"はボクとともに生き、死にます。
 その死ぬまでの間、"sox"はいろいろするでしょうが、そのどれもが目的ではなく過程で、結果は後付けしてやればイイと思っています。


 クサいことを言った気がしないでもないですが、まぁいいや。
 それよりもオオシロ氏を怒らせてしまった気がして悔やまれる。
 ボクはいつもそうだ。
 彼を大切に出来ない。


cornelius / sensuous

artist:cornelius  title:sensuous  label:warner
 元flipper's guitarの片割れにして日本を代表する音楽家小山田圭吾によるソロ、corneliusの5th album。前作から5年ぶり。
 1つ1つの音に対するこだわりがとても強いです。1つの音を奏でるにも、その位置、尺や音響、エフェクトのかけ方、tonalityに関してとても計算されて楽曲が組み立てられていて、それでもとても聴き易く、popとして受け止めることが出来ます。音はかなり電子音楽方面に偏っていて、delayやauto pan、arpeggiatorなどが多用されていることから、idmelectronica等をかなり意識しているんだろうと思われますが、生楽器も多用されているので人力によるオーガニックさも十分に感じられます。
 テクニック方面の話はともかくも、"sensuous"と言うタイトルどおり、とても感覚に訴えかける作品でもあり、ヘッドホンで大音量で聴くことによって、聴覚から音が入力されて視覚やら精神やらにも干渉したりするような感覚に陥るのです。音楽がそれ自体でヒトにある種の感情を生み出させてしまうような、彼の伝えようとしたことが、言葉を介さずにダイレクトに体全体に伝わって、彼の感情に心ごと満たされてしまうような、そんな作品です。
 天才が努力した結果てのはこういうのなんだろうと思ってしまいます。