という題名をつけたらどのくらいひかれるか、というテストです。
特に深い意味はありません。
さて昨日はライブでした。
出演キャンセルの穴を埋めるということと、ボクの予定的にかなり急な出演になってしまったのですが、大学時代のステキba.ヤスオさんが観に来てくれました。
ありがたや。
会うのも久々だったのでいろいろ話をしたりして楽しかったです。
イベントと相手は自意識過剰極まるというか、完璧にマスターベーション状態に陥ってしまった感じが笑けました。
全く関係ないですが、「モテ」とかいう言葉が踊るような雑誌が増えている気がします。
特に男に。
女の子ファッション雑誌は昔からあった気がしますが。
モテるためのファッション、というと「目的はモテるためであって、ファッションはあくまで手段」というか、「モテればファッションなんてどうでもよい」というか、極論チックにいえば「嫌なファッションだろうが、モテるためなら平気で着ます」的な意気込みでもあるのだろうか、それはファッション誌としては個々人のファッションセンスをないがしろにする意味でパラドックスをはらんでいませんか、と思ってしまいます。
「何をするにもをまず形から入る」というのは確かに大事なことで、モテるために形を繕わないわけには行かないと思いますが、思考と行動を一致させないといずれいろんなシチュエーションで矛盾を生み出してしまうので、本気でモテたいなら思考パターンもモテるものに変えなければならないのです。
たとえばモテる見た目であっても、会計の際に「割り勘で」とか言ってしまったり、相手の誕生日を忘れてしまったりすると、そのギャップに幻滅してしまうのです。
その精神面までモテファッション雑誌がサポートしてくれるのかどうかはボクは知らないですが。
そして、「モテる」ということは「大衆ウケが良い」や、「多くの異性に好まれる」といった言葉に変換できますが、いずれも不特定多数を相手にするような言葉で、それは「森を見て木を見ず」と言ってもイイのではないでしょうか。
そう考えると、たった一人の異性を相手にする恋愛において、大衆ウケする必要があるのかという疑問がわいてきます。
確かにマナーや常識面において恋愛が不特定多数と関係するシチュエーションは多くあれど(電車とか食事とか公共の場みたいので)、やはり個人体個人の恋愛においていかに相手のイイ様に奉仕するかが重要なのではと思います。
そういう話を知人としたときに、「選択肢が多いほうがイイのでないか」と言う意見を貰いました。
でもパブリックイメージで成立した恋愛は個人性を無視しているがために早期に破綻すると思われますし、プライベートイメージを重視するのであったら最初から個人性を曝け出して相手を選ぶなり相手に選んでもらったほうがイイんでないの、と思います。
ボクの怠惰とはてなメンテナスが原因で更新が遅れました。