sox diary

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結局種は?

 ある友人は仕事を辞めようとしたり、またある友人は仕事を始めようとしたり、自分が働いていられるのは紙一重だというヒトもいたり、未だに探すだけで終わったりと、まぁいろいろです。
 その間の現実逃避でガンプラ組み立てている気もします。
 腰部分作ってマーキングシール貼れば大体終わり。
 まるで駄目だ。


 就活ちゅうのはいわば自分をプレゼンテーションすることだ。
 いかに自分を売り込んでいくかが大事だ。
 口では何とでも言える。
 文字では何とでも書ける(この日記もそう)。
 演技も大事。
 自分がいかに社会に適応していて、どういう能力を持っていて、それをどういう形でその会社に貢献させることが出来るか、てことを相手方に伝える。
 勿論人事も演技と知って、あの手この手を尽くしてこちらの本質を探ろうとする。
 否、本質ではない。
 あちら側の抱く「こんな人材が欲しい」ちゅう需要に適合するかどうかを、見極めようと構えてくる。
 あちらはこちらを単なる材料と見ているかもしれない。
 そして仕事は人生の目的でなく、人生の手段である。
 だからどちらもドライなメンタルで駆け引きをする。
 なのに世に言う「就職活動」では、情熱的な姿勢で輝ける明日と未来を勝ち取ろう的な煽動が仕掛けられている。
 その胡散臭さが悲しい。


 新宿三丁目の平和武装や、片目がつぶれた野良猫が発する体臭や、堕胎手術や、30分間25000円の過ちや、陰口たたいて溜飲を下げとる奴等や、徒党を組んで安心しとる奴等や、さりげなく行われるURAGIRIや、孤独主義者のくだらんさや、自意識過剰と自尊心の拡大や、気休めの言葉や、一生の恥や、投げやりや、虚無や、くりかえされる諸行無常や。
 知っている毒は沢山あるのだ、しかしその毒に真正面から勝負を仕掛けるのは無謀やし、馬鹿らしいし、恥ずかしいし、時間の無駄やし、とりわけ孤独を産む。
 ネガティブ且つペシミスティックな観点でjapanを見ると、まるで展望が0へと収束していく。


 その反面泣けてくるのだ。
 他愛ない会話で返ってくる笑顔。
 見返りを求めない信頼。
 突然寄せられる懐かしい声。
 なんて事のない偶然の再会。
 手の取り合い。
 目に見えない生命の流れ。
 それらはそこかしこにある。


 ははは、なんて幼い文章だ。
 稚拙にも程があるな。
 ボクに彼・彼女の何が分かるだろうか?
 分かっているフリをして、あれやこれやと自分勝手な意見・主張を並べ立てているだけじゃないのか?
 ヒトの言葉を無断拝借して、さも自分が大々的に発した大義名分のように取り繕っているだけじゃないのか?
 そうしてボクは錐揉み状に落下していく。


 ところで今頃「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」を見終わった。
 さっさと自分の中で見切りをつけて終わらせたかったのだ。
 よくある考えを、よくある想いでやっつける感じでした。
 物語の伏線は結構分かりやすいけど、結局「seedを持つ者」てなんだったの?
 あのピコーンてなって、石が砕けて目が曇るヤツのこと?
 まぁ何でもいいのだけど。