痒いです。
痒さがゲロゲロの域に達してます。
血とか出るしな。
最近はあづあづが調子悪いっぽいので心配です。
つってもあづあづは限りなく他人に近いのですが。
ところで自分でないヒトと100%同じ考えにいたる事は100%ない。
だから100%共感できることは100%ない。
その理由は、
・「共感した」という意識は本人の脳の中だけで起こっている。
・ヒトの脳内意識は、自分でないヒトの脳と相互作用しない。
・その時のその事象を同じ条件化で複数の人数で意識することは出来ない。
・個々人で単語の定義が違う。
・個々人でbackgroundが違う。
・個々人でenvironmentalが違う。
・個々人で神経回路の接続が違う。
とか。
多分もっといろいろある。
そもそも同じ言語を喋っているのだから、意思の疎通が出来るだろうと思ってしまう。
しかしながら言語というものは概念であって、個々人が育ってきた環境やら読み親しんだ本とか好きなテレビ番組とかにモロ影響を受ける。
だから簡単に意識の共有が出来ると思ってそのギャップに気付かないでいるとゲロゲロなことになる。
言いたいことは、「大体のヒトは、自分でないヒトも自分と同じ様な思考だと勘違いする」ということ。
簡単な例を言う。
「オタクはキモい」と言う考えを持っているヒトは多い。
しかしアメリカでは「otaku is cool!」という考えが多いらしい。
おそらく「オタクはその道に関して感極まっているが為に職人的な性質がある」的なアレだと思われる。
難しい例を言う。
ボクラが目で見ている世界は、本当は無い。
ボクラが見ている世界は、僕らの脳が作り出している幻覚だといってもいい。
光は眼球の前部の角膜とレンズ体によって適切な角度に曲げられ、眼球を包み込んでいる網膜に投影される。
網膜を構成している視細胞は光を受けて興奮し、それを視神経に伝える。
大脳皮質の視覚野にその興奮を伝えることで、脳内に像が作られる。
色情報は入ってきた来た光の波長を元にインプットされる。
で、その光の反射から像を作り出すまでの間の要素に個人差が生じる。
だから同じとこに立ったヒトが見た像は厳密には同じである筈はない。
しかしながら同意を求めて安心したいというのがボクラの性で、それが徒党を組む行動原理になってしまう。
自分でないヒトと違うが為に、自分と違うヒトから白い目で見られるのを怖がってしまう。
メディアの技術革新によって、沢山の自分でないヒトが意見を述べる時代になった。
だから様々な情報を得てボクラは困惑する。
情報操作も頻繁に行われるようになった。
ってわけで情報に囚われずに、しっかり自分を持って事に当たりましょう、てことを言いたかった。
終わり。