sox diary

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肩凝りが酷い。

肩がガチガチでゲロゲロである。
姿勢が悪いし、キーボードばっかり叩いているからか。
でもそれ自分の仕事ですから。
「仕事する」から「肩凝る」のである。
これ自然の成り行き。
ボクの肩凝りを止めるものは何もない。
nothing stops my katakori!
しかも痒いしなお更ゲロゲロ。


どうでもいいけど、一度レッテルが貼られると、それはどうかと思うほど剥がすのに努力が必要である。
だから一度真面目なヒトだと思われたヒトがちょっと怠けたところを見せると、一度真面目なヒトだと思われたヒトのことを一度真面目なヒトだと思ったヒトの内面に筆舌尽くし難い衝撃が起こる。
なぜなら一度真面目だと思われたヒトのことを一度真面目なヒトだと思ったヒトにとって、一度真面目だと思われたヒトは常に真面目で怠けることは無いと思われてしまい、その信頼が裏切られた時の絶望・落胆・失望とかいろいろに見舞われてしまうからだ。
その逆に普段怠けているヒトがスゴイところを見せると、エライ賞賛が贈られる。
そのギャップにびっくりするからだ。
だから普段はダラダラして、大事な時にガッとやればいいのである。
そうすれば評価がドンドン付いて、人生うなぎのぼりである。
しかも大事なときにだけガッとやればいいので、エネルギー消費も抑えられて一石二鳥である。


という考えは比較論に基づく。
この考えでは、
評価=「大事なときの貴方」-「普段の貴方」
という相対的なものになってしまう。


これは好ましくない。
評価は、ある期間中の仕事量を積分した形で出すのが絶対的で理想的な気がする(もう数学から遠ざかって久しいので数式とかは書けません)。
しかし「仕事量」というものの定義をきちんとできなければ、それは従来の時給式となんら変わらない。
しかもボクは時給式以外の給与システムで働いたことがないので、意見が行き詰ってしまう。


ただ確実にいえることは、日本語はややこしいってことか。
うんこ。